はじめに
ざっくり言うと、雨が降らなくて水を使えるいわゆる「普通の生活」がいかに難しいかを思い知らされた話です。
1994年夏季~秋季における高温・少雨により、愛媛県松山市は甚大な渇水被害を受けました。最も酷い時には1日に16時から20時の4時間しか 水道 から水が出ず、普通の生活を営むことが難しかった状況を、家族全員が印象深く覚えています。
雨の少ない松山市
こんにちは、上野です。
私の生まれ育った愛媛県松山市は、年間降水量が比較的少ない瀬戸内海式気候に属し、たびたび渇水被害に見舞われます。
特に、今から約20年前の1994年、日本列島は春から秋にかけて少雨に見舞われました。愛媛県松山市でも甚大な渇水被害を受け、1日の16時から20時の4時間しか水道水が出ない時間断水( 水道 から水が出ない状態)が2か月間続きました。
渇水による被害
では、渇水による被害を、軽微なものから紹介します。
- 水道 の水圧が下がる
- 水泳の授業がなくなる
- 夜間断水
- 時間給水
少雨の傾向があると、水道局の方々が水道のネジを締めてまわり、水道の水圧が下がって水が出にくくなる給水制限が実施されます。これが、最初に訪れる身近な渇水被害です。水道をひねってもひねってもチョロチョロとしか水が出ず、お風呂を溜める時間が長くなったり洗濯の時間が長引いたりします。
水道水が出にくくなる頃とほぼ同時期に、小学校では児童の悲鳴が鳴り響きます。それは、学校のプール使用禁止の通達です。水泳の授業がなくなり、また公営プールも営業が停止されるので、小学生の時は非常に残念がった記憶があります。この被害は5年に1度くらいの頻度で生じます。
最初に行われる断水は23時~翌6時の夜間断水です。風呂に早く入らないといけない、夜間のトイレはバケツに水を汲んでから用を足さなければならない等の面倒が出てきますが、おそらく我が家で一番困ったことは、朝早く出勤する父親の朝食と弁当が作れなかったことだと思います。
渇水が進むにつれてだんだんと水道水が出る時間が少なくなっていき、1994年の渇水時には16時から20時の4時間給水(20時間断水)にまで縮められました。こうなると、どの家庭も16時になったらいっせいに洗濯機を稼働させ、20時までに夕食・入浴を済ませるようになるので、結果的にみんな早寝早起きの生活になります。一番大変なのはトイレで、廊下にはトイレ用の水を汲んだバケツが並び、水不足のため私の家庭では「小のときは流さない」などの決まりごとがありました。
断水生活において役立ったもの
- サランラップ
- ポリ袋(45~90L)
用途は主に、皿の上に敷くことで皿洗いをしなくて済むようにすることです。スーパーなどではかなり品薄になります。
家にあるゴミ箱やプラスチックの籠などをバケツへと変身させるアイテムです。とにかく箱状・筒状のものにポリ袋を設置することによって水を溜める装置となります。
断水生活の終わり
秋雨前線や台風などの大雨が降ると、2~3日でダムの貯水率が50%程度回復することがあり、それにて断水生活が終了します。しだいに水道水の水圧が元に戻り、トイレ後に「こんなに水道水の出る勢いよかったっけ?」と思いながら手を洗った記憶があります。
24時間きれいな水が出ることがこんなにありがたいことなのかと、毎度改めて感じます。
ネギ御殿
余談ですが、渇水では深刻な農業被害によって生鮮野菜価格の高騰を引き起こしますが、私の近所のネギ農家さんは、ダムからの農業用水ではなく自宅に掘った井戸の水を使って渇水を乗り越え、1994年だけで家を建て替えることができるほどの利益が出たそうです。後に、その建て替えた家はネギ御殿と呼ばれました。
このように、公共の上・下水道以外の水源を日常的に確保しておくと、渇水は意外と楽に乗り越せるのかもしれません。
おわりに
「水道から水が出なくなる日。」
もしかしたら生きている間にこういった事態が再び起こるかもしれません。
水が出なくなってから何か始めるでは対応が遅くなってしまうので、日頃から、水を使うときには、水が出なくなったらどうすべきかを少し考えてみるとよいかもしれません。
上野勇気
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- 水道 から水が出なくなった日 - 2015年12月19日